『手のひらの花火』
作品概要
記憶のような、予言のような―
鋭く、なつかしい言葉たち。
<第14回現代短歌新人賞受賞作>
第53回短歌研究新人賞受賞作「死と放埓なきみの目と」を含む、10代後半から20代に書かれた短歌250首を収録した山崎聡子第一歌集。
少女の鮮烈な視点が〝あの世〟と〝この世〟を交錯する。
さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール
塩素剤くちに含んですぐに吐く。あそびなれてもすこし怖いね。
雨の日のひとのにおいで満ちたバスみんながもろい両膝をもつ
放埓なひかりが宿る君の目のひとなつで死に絶えるひぐらし
へび花火ひとつを君の手のひらに終わりを知っている顔で置く
仕様
定価 | 本体1,800円(税別) |
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出版社 | 短歌研究社 |
発売日 | 2013/5/20 |
単行本 | 160ページ |
ISBN | 978-4-86272-319-2 |
購入方法 | 初版完売しました 再版については出版元の短歌研究社にお問い合わせください。 |
備考
栞文:日高堯子、加藤治郎、穂村 弘、石川美南
装画:清水智裕、装幀:花山周子
*短歌研究新人賞:月刊短歌総合誌「短歌研究」が毎年公募する未発表30首を対象とした短歌の新人賞。新人の登竜門といわれ、その前身となる「短歌研究50首詠」は、中城ふみ子、寺山修司らが受賞したことでも知られる。
*現代短歌新人賞:日本現代短歌界の振興を目的に、歌壇に新風をもたらす歌人に贈られる賞
あとがきにかえて
―記憶を感光させること― (本文より抜粋)
十代のころ、わたしはひどくぼんやりとした人間だった。冬なのに靴下を履かずに学校に行ってしまったり、かばんを三日連続で電車に忘れてきたりしたし、親や教師からは「なんでふつうのことができないの」とよく怒られた。
そのころのわたしにとって、詩や短歌というものは、遠い国の呪文のようなものだった、といつも考える。たまたま手にとった寺山修司の「老犬の血のなかにさえアフリカはめざめつつありおはよう 母よ」を繰り返し頭の中で唱えたこと、教科書に載っていた「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の針やはらかに春雨の降る」を声に出して読んでみたこと。そのときのわたしには、短歌をつくることなんて思いつきもしなくて、ただただうっとりとする呪文としてそれらを唱えていたにすぎなかったのだ。
詩というのは、日々溜っていく澱のようなものをすくいとり、記憶として定着させることなのだと思う。たとえば、十代のときに見た一瞬の風景や言葉にならない感情がいまのわたしに歌をつくらせている、と感じることがある。演劇部顧問の「お前らほんとに馬鹿だな」という口癖や、煙草とチョークの匂いが混じった独特の体臭、陽当たりのいい部室にみんなで膝を伸ばして座っていたこと、埃が照明に照らされて光るのを舞台袖から眺めていたこと。高校時代のわたしは、短歌をつくることを知らなかったから、これらを名づけようのない記憶として体のなかにとどめることしかできなかった。しかし、いまならそれらの記憶や感情を短歌という形に感光させることができる。
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詩と出合っても、出合わなくても、人は少しずつ記憶を積み重ね、それらを取りこぼし、忘れながら生きていくのだと思います。願わくは、ここに記された記憶や感情の断片が、わたし以外の誰かにもとどく呪文になっていますように。そして、すこしでもいい、あなたの記憶のどこかにとどまりますように。
最後に、忙しいなか栞文をお寄せいただいた加藤治郎様、日高堯子先生、穂村弘様、石川美南さん、素敵な装画・装丁を寄せてくださった清水智裕さん、花山周子さん、出版にあたってさまざまなご助言をいただきました短歌研究社・堀山和子様、そして短歌を通して出会った友人たちに感謝いたします。
2012年8月
山崎聡子